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最高裁判所第三小法廷 平成10年(オ)364号 判決

上告人

テキサス インスツルーメンツインコーポレーテッド

右代表者

リチャード・J・アグニッチ

右訴訟代理人弁護士

中村稔

熊倉禎男

辻居幸一

田中伸一郎

折田忠仁

吉田和彦

同補佐弁理士

大塚文昭

竹内英人

大石皓一

弟子丸健

被上告人

富士通株式会社

右代表者代表取締役

秋草直之

右訴訟代理人弁護士

古城春実

水谷直樹

同補佐弁理士

井桁貞一

林恒徳

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人中村稔、同熊倉禎男、同辻居幸一、同田中伸一郎、同折田忠仁、同吉田和彦、上告補佐人大塚文昭、同竹内英人、同大石皓一、同弟子丸健の上告理由第一点、第二点及び第四点について

一  本件は、上告人において、被上告人による第一審判決別紙イ号物件目録及びロ号物件目録記載の半導体装置の製造販売行為が後記特許権の侵害に当たると主張するため、被上告人が、上告人に対し、右特許権侵害による損害賠償請求権が存在しないことの確認を請求する事案である。

原審の確定した事実関係の概要は次のとおりであり、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。

1  上告人は、発明の名称を「半導体装置」とする特許権(特許番号第三二〇二七五号)を有している(以下、右特許権を「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)。

2  本件発明は、特願昭三九―四六八九号(以下、「原出願」といい、その発明を「原発明」という。)から、昭和四六年一二月二一日に分割出願(以下「本件出願」という。)されたものであるところ、原出願は、昭和三五年二月六日に出願された発明(特願昭三五―三七四五号)から昭和三九年一月三〇日に分割出願されたものである。

3  原出願については、原発明が公知の発明に基づいて容易に発明することができるものであることを理由として、拒絶査定が確定した。

4  本件発明と原発明は、実質的に同一である。

5  被上告人は、業として第一審判決別紙イ号物件目録及びロ号物件目録記載の半導体装置を製造販売している。

二  原判決は、以上のような事実関係の下において、次のとおり判断した。

1  本件出願は、これが原出願の適法な分割出願であるとすれば、旧特許法(昭和三四年法律第一二二号による廃止前のもの)九条一項の規定により、原出願の時にされたものとみなされる。しかし、本件出願は、分割出願として不適法であるから、原発明と同一の発明につき原発明に後れて出願したものであり、本件特許は、特許法三九条一項の規定により拒絶されるべき出願に基づくものとして、無効とされる蓋然性が極めて高いものである。

2  また、本件発明は、公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定している原出願に係る原発明と実質的に同一であるから、本件特許には、この点においても無効理由が内在するものといわなければならない。

3  このような無効とされる蓋然性が極めて高い本件特許権に基づき第三者に対し権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない。

三  所論は、右二1及び2記載の原審の各判断の違法をいうとともに、同3記載の判断について、特許権侵害訴訟においては、特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきであるにもかかわらず、本件特許権を実質上無効とする判断を行った原判決には、法令違反、審理不尽及び理由不備の違法がある旨主張する。

四  しかし、二1及び2記載の原審の各判断は、いずれも是認することができる。本件については、先願である原出願について拒絶査定が確定しているけれども、先願の特許出願につき拒絶査定が確定したとしても、その特許出願が先願としての地位を失うものではないから(平成一〇年法律第五一号附則二条四項、右法律による改正前の特許法三九条五項参照)、本件出願は特許法三九条一項により拒絶されるべきものである(最高裁平成三年(行ツ)第一三九号同七年二月二四日第二小法廷判決・民集四九巻二号四六〇頁参照)。また、本件発明は、公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定した原出願に係る原発明と実質的に同一の発明であるから、本件特許は同法二九条二項に違反してされたものである。したがって、本件特許に同法一二三条一項二号に規定する無効理由が存在することは明らかであり、訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから、無効とされることが確実に予見される(なお、記録によれば、本件特許については、原判決言渡し後の平成九年一一月一九日、無効審決がされ、審決取消訴訟が係属中である。)。

五  そこで、進んで二3記載の原審の判断について検討する。

なるほど、特許法は、特許に無効理由が存在する場合に、これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁の審判官の審判によることとし(同法一二三条一項、一七八条六項)、無効審決の確定により特許権が初めから存在しなかったものとみなすものとしている(同法一二五条)。したがって、特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し、対世的に無効とされるわけではない。

しかし、本件特許のように、特許に無効理由が存在することが明らかで、無効審判請求がされた場合には無効審決の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される場合にも、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求が許されると解することは、次の諸点にかんがみ、相当ではない。

(一)このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め、これについての損害賠償等を請求することを容認することは、実質的に見て、特許権者に不当な利益を与え、右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので、衡平の理念に反する結果となる。また、(二)紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものであるところ、右のような特許権に基づく侵害訴訟において、まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ、当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは、特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり、また、訴訟経済にも反する。さらに、(三)特許法一六八条二項は、特許に無効理由が存在することが明らかであって前記のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定したものと解することはできない。

したがって、特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。このように解しても、特許制度の趣旨に反するものとはいえない。大審院明治三六年(れ)第二六六二号同三七年九月一五日判決・刑録一〇輯一六七九頁、大審院大正五年(オ)第一〇三三号同六年四月二三日判決・民録二三輯六五四頁その他右見解と異なる大審院判例は、以上と抵触する限度において、いずれもこれを変更すべきである。

六  以上によれば、本件特許には無効理由が存在することが明らかであり、訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから、本件特許権に基づく損害賠償請求が権利の濫用に当たり許されないとして被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。右判断は所論引用の判例に抵触するものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難し、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官金谷利廣 裁判官千種秀夫 裁判官元原利文 裁判官奥田昌道)

上告代理人中村稔、同熊倉禎男、同辻居幸一、同田中伸一郎、同折田忠仁、同吉田和彦、上告補佐人大塚文昭、同竹内英人、同大石皓一、同弟子丸健の上告理由

目次

序論

第一 上告人理由の要旨

第二 上告人理由の第一点について

一 適用法令について

二 原判決の認定と法令違背等

第三 上告理由の第二点について

一 適用法令について

二 原判決の法令違背等

第四 上告理由の第三点について

一 原判決の認定

二 被上告人の主張

三 原判決の法令違背等

第五 上告理由の第四点について

一 適用法令について

二 原判決の認定と法令違背等

第六 上告理由の第五点について

一 米国抵触審査及び米国控訴裁判所判決

二 原判決の認定と経験則違背等

序論

一 原判決は、要するに、本件発明は昭和三九年一月三〇日になされた特願昭三九―四三八九号にかかる出願(以下「原出願」という。)にかかる発明(以下「原発明」という。)と実質的に同一であると結論するものである。原判決が法令違背等を犯したものであることについては、第一以下において詳述するが、このような結論は、長年にわたる本件特許権の取得に要した上告人の努力及び特許庁における慎重な審理並びにこれによる法的安定性を無視するものであることを、まずは指摘しておきたい。

二 すなわち、本件特許権は、一九五九年二月二六日の米国特許出願七九一六〇二号(以下「米国出願」という。)にもとづく優先権を主張して特願昭三五―三七四五号にかかる出願(以下「原々出願」という。)に基づく原出願から昭和四六年一二月二一日になされた分割出願である。本件特許の出願公告に対しては、わが国の大手半導体メーカー一二社から特許異議の申立があった。ほとんどの異議申立人は、原出願にもとづく本件特許出願の分割不適法を主張したが、特許庁における三名の抗告審判官は、二年半にわたる慎重な審理の末、これらの異議申立をすべて斥けた(乙第一、第二及び第四号証)。

しかるに、原判決は、分割出願のなされた昭和四六年一二月二一日からほぼ二六年を経過した今になってこの分割出願が不適法であると判断したものである。

しかも、本件発明と実質的に同一とされた原発明は、昭和五九年四月二六日の東京高裁判決(甲第四号証)により既に拒絶査定が確定しており、出願公告はもとより、特許権として日の目を見ることもなかった。

三 原判決(一二九頁九行から一三〇頁五行)が集積回路の発明者として世界的に認知されているジャック・キルビーの功績に対して報いていると指摘した原々出願にもとづく原々特許については、昭和四〇年六月二六日に出願公告がなされたが、特許異議申立がなされ、その結果、実際に特許されたのは、特許満了わずか三年前の昭和五二年六月一三日であった。(ちなみに、日本において、キルビーの発明といわれ、特許権として成立したものはこの原々特許と本件特許の二件のみであり、クレームの数も二つのみである。これに対し、米国では、米国特許出願第七九一六〇二号にもとづき付与された米国特許第三一三八七四三号では二五のクレームが認められている。)

四 上告人は、本件特許出願手続中においても審理の促進に協力し、上申書(甲第六号証の六)等を提出した。その後、特許庁において実質的な審査の着手は昭和五四年に至ったが(甲第六号証の七)、上告人の努力にもかかわらず、昭和五八年に拒絶査定が下され(甲第六号証の一一)、上告人はこれに対し抗告審判を申し立て、ようやく平成元年に本件特許権を取得したものである。

このような特許庁における一八年間にわたる審査の過程では、本件特許権が原出願にもとづく分割出願として適法であることについては、全く問題とされず、当然の前提とされていたのである。とりわけ、昭和五七年三月三一日付拒絶理由通知書(甲第六号証の九)には、「本件は、特許法施行法第二〇条第一項の規定により、なお従前の例(旧特許法、すなわち大正一〇年法律第九六号)による。」と記載されているし、また、前記拒絶査定においても、「特許法施行法第二〇条第一項の規定により、旧特許法(すなわち大正一〇年法律第九六号)によって審査するものである。」ことが明記されている。

五 以上のとおり、本件特許権は旧特許法により出願された原出願にもとづく分割出願として適法なものとして、特許庁等において四半世紀にわたり扱われてきたものである。しかるに、原判決は、このような事実を全く無視し、分割出願は不適法であるとして本件特許権には昭和三四年特許法が適用されるとし、また、出願日は分割出願のなされた昭和四六年一二月二一日であると判断し、その結果、本件特許権は期間満了としまた無効事由を有するからその権利行使は権利の濫用であると結論したものである。しかも、原判決は、原発明と本件発明の同一性の認定に際しては、それぞれの特許請求の範囲の比較ではなく、要約すれば、本件発明が原々出願及び原出願の優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号明細書(甲第六号証の二の2、以下「米国出願明細書」という。)、原々出願の当初明細書(甲第三号証の四、以下「原々出願当初明細書」という。)、原々出願の公告時の明細書(甲第三号証の二、以下「原々出願公告時明細書」という。)、原々出願の公告後の補正明細書(甲第三号証の一、以下「原々出願補正明細書」という。)、原出願の当初明細書(甲第三号証の五の2、以下「原出願当初明細書」という。)に実質上開示されていたから同一である旨の判断を行ったものである。

上告人としては、本件出願から原判決に至った事情が上記のとおりきわめて異常、異例であることを念頭に置いて、以下に詳述する上告理由につきご判断を頂くことを切望するものである。

第一 上告理由の要旨

第一点 特許侵害事件の判断にあたっては、特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきであるにもかかわらず(必要であれば、特許法一六八条二項の規定にもとづき職権により訴訟手続を中止することができる)、原判決は実質上、本件特許権を無効とする判断を行ったものであり、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

第二点 原判決は、旧特許法の解釈を誤り、分割出願の適否の判断にあたり、既に拒絶査定の確定した原出願と本件発明との同一性を問題とした点並びにこれらが同一であるとの結論にもとづき本件特許出願が出願日遡及の利益を享受することができないものであったから、本件出願は原出願に遅れて、原発明と同一の発明につき特許出願したものとして、特許法三九条一項の規定により本来特許されるべきではなかったものとした点において、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

第三点 原判決は、被控訴人の主張しない本件特許権の満了による消滅及び権利濫用の抗弁を認定したものであり、原判決には、弁論主義に違反しよって判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

第四点 原判決には、本件発明と原発明との比較にあたり、本件発明と原発明のそれぞれについて、特許請求の範囲の記載にもとづかず、原々出願当初明細書、原々出願公告時明細書、原々出願補正明細書、原出願当初明細書、米国出願明細書の記載を参酌して、本件発明の要件(e)その他の要件を解釈し、一方、原出願の特許請求の範囲には対応する要件の記載がないのにこれを含むものと解釈し、両発明が実質的に同一であると判断した点において、旧特許法(大正一〇年法律第九六号)九条一項、同施行規則三八条四項の法令に違背し、また、最高裁判所の判例(昭和六二年(行ツ)三号平成三年三月八日第二小法廷判決、民集四五巻三号一二三頁、以下「リパーゼ事件判決」という)に違背し、よって原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背(最高裁判所の判例違背)、審理不尽、理由不備がある。

第五点 原判決は、本件発明の「被着」の解釈にあたり、米国法及び米国判決の解釈を誤り、その結果、本件発明の「被着」には「密着」する技術手段は含まないと認定し、かつ、かかる認定をするうえで米国法の専門家による宣誓供述書(乙第二八号証)等に記載された事実について、これを排斥する合理的な理由を付さなかったものであり、よって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背、採証法則違背、審理不尽、理由不備がある。

第二 上告理由の第一点について

特許侵害事件の判断にあたっては、特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきであるにもかかわらず(必要であれば、特許法一六八条二項の規定にもとづき職権により訴訟手続を中止することができる)、原判決は実質上、本件特許権を無効とする判断を行ったものであり、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

一 適用法令について

1 特許侵害訴訟を審理する裁判所(以下「侵害審理裁判所」という。)の権限

(一) 侵害審理裁判所が特許の有効・無効の判断ができないことについては、日本の特許法において確立した法理である。すなわち、特許法は、特許権に無効事由があるときは、特許庁に対し無効審判を請求することができ(特許法一二三条)、また、特許庁の無効審判の審決に対しては東京高等裁判所に審決取消訴訟を提起することができるものとしている(同一七八条)。かくて特許法は、特許権の有効・無効については専ら専門の行政庁である特許庁に第一次的判断を委ねるとともに、事後的に審決取消訴訟により特許庁の判断に対し裁判所の審査を受けることを保障して、特許庁と裁判所の権限配分を図っているものである。この原則は本件特許に適用する旧特許法においても同様である。したがって、このような手続とは別個に特許侵害訴訟において特許権の無効の主張立証を許した上で、裁判所が無効の認定を行うことは、仮にその無効の認定が対世的効力のある宣言ではなく当該侵害訴訟事件の抗弁の前提ないし間接事実として認定する場合であっても許されないものである。かかる法理は、数多くの裁判例によっても繰り返し確認されてきたものである。

(二) 例えば、平成五年八月三〇日発行の最高裁判所事務局行政局監修「知的財産権関係民事・行政裁判例概観」(以下「裁判例概観」という。)は左のとおり述べている(八七頁の注1)。

「 本来理論的観点からすれば、特許権(実用新案権)の有効・無効は、無効審判の専決事項であり、審判の結果を待たずに侵害訴訟の受訴裁判所がその点について判断を行うことは相当ではなく、法令の規定(特許法一六八条二項、実用新案法四一条)に従って審決の確定まで受訴裁判所が職権で訴訟手続を中止するのが本筋というべきであろう。」

また、平成七年七月二〇日発行の司法研修所編「工業所有権関係民事事件の処理に関する諸問題」(以下「処理に関する諸問題」という。)は左のとおり述べている(一五八頁の「2無効」)。

「 特許権等の侵害訴訟において、被告から、無効審判の審決が確定していないのに、原告の特許権等は無効であるからこれに基づく請求は許されないという主張がなされることがある。しかし、特許権等は、無効審判手続によってのみ無効とされるものであり、無効審判の審決の確定を待たずに特許等の無効を主張することは許されないというのが通説及び実務である。」

右の説明に代表されるように、現行特許法下においては、侵害審理裁判所は、特許権の有効・無効を判断することはできないとされており、この第一次的判断は、もっぱら、特許庁に対する無効審判によるのである。

(三) 一方、わが国の特許法は、旧特許法以来、訴訟手続の係属を理由とする審判手続の中止及び審判手続の係属を理由とする訴訟手続の中止を規定している。これは、特許権の有効・無効を判断する手続と特許権の侵害の有無を判断する手続とが全く別個に設けられているため、手続相互間の調整をはかるために、わが国の特許法においてこのような中止手続が設けられたものである(旧特許法一一八条、現行特許法一六八条二項)。

したがって、侵害審理裁判所において、訴訟対象特許が無効審判により無効とされる蓋然性が高いと判断すれば、現行特許法一六八条二項により職権にもとづき侵害訴訟を中止すればよいのである(旧特許法一一八条二項にも同様な規定が存在した。)。

2 審決取消訴訟に対する司法的審査の限界

(一) 前述のとおり、現行特許法一二三条に規定する無効審判の審決に対しては裁判所に不服申立が認められ、東京高等裁判所の専属管轄とされている(同法一七八条一項)。このような審決取消訴訟にあっても、東京高等裁判所は、審決に取り消すべき違法があるか否かを判断するものであって、新たな事由で特許権の有効・無効を判断する権限はない。すなわち、現行特許法一八一条一項に規定されているとおり、東京高等裁判所は、「当該請求を理由があると認めるときは、当該審決……を取り消さなければならない」のである。

(二) この点は、前出「裁判例概観」にも、左のとおり説明されている。

「旧特許法の抗告審判に関してではあるが、最高大昭五一・三・一〇判(民集三〇巻二号七九頁)が、特許無効の抗告審判の手続において審理判断されなかった公知事実との対比における特許無効原因を審決取消訴訟において主張することは許されないと判示するに至った。同判決は、その理由として、抗告審判の審決取消訴訟においては、専ら審決の適法違法のみを争わせ、原処分である特許又は拒絶査定の適否は、これを間接的に争わせるにとどめているのであるから、特許無効の抗告審判の審決に対する取消しの訴えにおいてその判断の違法が争われる場合には、専ら、当該審判手続において現実に争われ、かつ、審理判断された特定の無効原因に関するもののみが審理の対象になると述べている。」(六一〇及び六一一頁)

「 特許無効の審決に対する取消訴訟の制度の趣旨について、最高三小昭和五九・三・一三判(集民一四一号三三九頁)は、特許法は、特許に無効原因がある場合について、直接当該特許の取消しないしは無効確認を求めて訴訟を提起することを認めず、特許を無効にするための手続として、民事訴訟手続に準じた審判手続を設け、特許無効の審判を請求した者と特許権者とを当事者として関与させ、特許の無効原因の存否について専門的知識経験を有する審判官による審理判断を経由することを要求するとともに、その審決に対しては取消訴訟において専ら審決の適法違法のみを争わせ、特許の適否は審決の適否を通じてのみ間接にこれを争わせるにとどめているところ、その趣旨とするところは、特許に無効原因があるかどうかについては、この審判手続において法律上及び事実上の争点について十分な審理判断をすべきものとするにあり、また、特許法は、前記取消訴訟を東京高等裁判所の専属管轄として事実審を一審級省略しているのであるが、このことは、特許の無効原因の存否については、すでに審判手続において当事者の関与のもとに十分な審理判断がされていることを前提としているからにほかならないと解されると判示している(旧特許法につき最高大昭五一・三・一〇判、民集三〇巻二号七九頁もほぼ同旨)。」(六〇四頁)

(三) 以上のとおり、特許の有効・無効に関して判断できる裁判所は特許庁の審決に対する不服申立としての審決取消訴訟における東京高等裁判所のみであり、この場合においても、東京高等裁判所は特許権の有効・無効を直接判断するのではなく、特許庁の審決の適法・違法を判断するにとどまるものである。

3 なお、昭和三四年特許法の特許法施行法により、旧特許法は廃止されたが、同施行法二五条一項により「旧法によりした特許……についての新法第百二十三条第一項の……審判……においては、旧法第五十七条の規定は、新法の施行後も、なおその効力を有し、同条第一項又は第二項に規定する場合に限り、その特許又は許可を無効にすることができる。」とされた。

したがって、「旧法によりした特許」である本件特許権については、無効事由については、旧特許法五七条一項及び二項に規定されたものに限定されるものの、現行特許法の無効審判に関する一二三条一項が適用される。

二 原判決の認定と法令違背等

1 以上のとおり、特許法は、特許権に無効事由があるときは、特許庁に対し無効審判を請求することができ、また、特許庁の無効審判の審決に対しては東京高等裁判所に取消訴訟を提起することができるとし、特許権の有効・無効については専ら専門の行政庁である特許庁に第一次的判断を委ねるとともに、事後的に審決取消訴訟により特許庁の判断に対し裁判所の審査を受けることを保障し、もって特許庁と裁判所との権限配分を図っているものであるから、このような手続とは別個に特許権侵害訴訟において特許権の無効を主張立証することを許容し、裁判所が無効事由の有無を判断することは許されない。

2 これに対し、原判決は、理由中の二において、

(一) 「被控訴人は、本件発明に係る分割出願は不適法であり、本件発明の出願は出願日遡及の利益は受けられないと主張するので、まず、この点について判断する」と述べた上で(原判決三九頁九ないし末行)、理由二、1項において「原出願に係る発明と本件発明との対比」を行い、その際、本件特許明細書記載の特許請求の範囲と原発明の補正明細書記載の特許請求の範囲を比較するのみならず、原出願補正明細書の図面及び原出願当初明細書を参酌し、更に米国出願明細書、原々出願当初明細書、同公告時明細書、原々出願補正明細書の記載までも参酌し、「原発明と本件発明とは、要件(a)中の回路素子の『離間』の点と要件(e)の『平面状配置』の点を除き、実質的に一致ないし重複する」と認定している(四〇頁一行から六三頁二行)。

(二) 次いで、同理由二、2項において、右の要件(a)の「離間」と(e)の「平面状配置」について、原出願当初明細書、原発明の出願についての東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決、原々出願補正明細書、原々出願当初明細書、同公告時の明細書、原々出願補正明細書、さらには米国出願明細書の記載を参酌し、結局「本件発明は原発明と実質的に同一と認められ」ると結論したものである(六三頁三行から九八頁三行)。

(三) さらに原判決は、理由二、3項「分割不適法の効果」の項において、「本件分割出願は不適法であって、出願日遡及の利益を享受することができない」、したがって、「実際の出願日である昭和四六年一二月二一日に出願されたものとして、当時施行されていた特許法(昭和三四年法律第一二一号)の適用を受けることになり、同法第六七条第一項(平成六年法律第一一六号による改正前のもの)ただし書の規定により、本件特許権の存続期間は、『特許出願の日から二十年をこえることができない』ものであるといわなければならず、そうすると、平成三年一二月二一日の経過により、その二〇年の存続期間は満了し、本件特許は消滅に帰した」と認定した(一〇〇頁七行から一〇一頁三行)。

その上で原判決は、右で認定した特許期間の満了日の「同年同月二二日以降については、本件特許権に基づく損害賠償請求権が発生する根拠はない」、前述のとおり、「本件発明に係る出願(本件出願)が分割出願として不適法である」から「本件特許は無効とされる蓋然性がきわめて高いものといわなければならない」、「のみならず、原発明については、前示東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決(甲第四号証)の確定により、公知の発明から容易に推考される発明として拒絶査定が確定しているのであるから、原発明と実質的に同一である本件特許についても、この理由による無効事由が内在するものといわなければならず、このような無効とされる蓋然性がきわめて高い特許権に基づき第三者に対して権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない」と判示して(一〇一頁四行から一〇三頁一行)、被控訴人の請求をすべて理由があるとしたものである。

3 以上のとおり原判決は、原出願はもとより、原々出願、さらには優先権主張の基礎となった米国出願まで参酌し「本件発明に係る分割出願が違法である」と判断したものである。

しかしながら、侵害審理裁判所がこのような訴訟対象特許の有効・無効の判断に立ち入ることは、現行特許法はもとより、旧特許法においても許されていないことは、前述のとおり明らかであり、このような判断を容認することは、結局、特許庁における無効審判手続を経ずして特許権を無効なものとして取り扱うことに帰着するが、このような取扱については、何らの実定法上の根拠もなく、かえって、特許法の予定する制度の趣旨に反するものであって、到底認められないものといわなければならない。

4 また、原審裁判所である東京高等裁判所は、無効審判の審決取消訴訟において専属管轄権を有している。したがって、東京高等裁判所が侵害訴訟において訴訟対象特許の有効・無効を判断することが許されるとすれば、特許庁における無効審判手続にも事実上の影響を与えることは必至である。これは、前述した最高裁判所判決の認めた審級の利益を奪うことにもなるのである。

5 ちなみに、本件発明の分割出願の適法性は、本件発明の出願過程の異議手続において特許庁が充分に審理したものであるが、この点について、原判決は、

「 また、本件発明の出願過程においてされた各特許異議の手続においては、分割出願の適法性も争われ、これにつき、各特許異議の決定(乙第一、第二、第四号証)は、原発明は本件発明の要件(e)を備えていないから実質的に同一ではないと判断していることが認められる。しかし、その判断の理由は、単に、原発明の特許請求の範囲に本件発明の要件(e)の記載がないということのみであり、要件(e)の持つ技術的意義を解明してなされたものとは認められず、しかも、この判断はいまだ司法審査を経ていないものである。これをもって、控訴人の主張を根拠づけるに足りる資料とすることはできない。」と述べている(同九六頁二ないし一〇行)。換言すれば、原判決は、特許庁の異議決定以降は原判決の裁判所自身が構成要件(e)に関連して分割出願の適法性を認定するはじめての司法審査であると判示しているのであり、かかる審理とその結論により上告人はまさに、右に述べた無効判断に関する審級の利益を現実に奪われているものである。

6 原審において、被上告人は、現行特許法一六八条二項にもとづく訴訟手続の中止を求めていない。しかしながら、当事者による訴訟手続の中止の申立は裁判所により職権の発動を促すものであって、裁判所が裁量により決定しうるものである。原審裁判所は、必要であれば、特許庁に係属していた本件特許権の無効審判手続についても釈明しえたのである。

7(一) なお、訴訟対象特許にかかる発明が全部公知の場合において、現行特許法一六八条二項の規定にもとづき審決の確定まで裁判所が職権で訴訟手続を中止することは、審判の結論が出るまでに相当長期間を要するという実務の現状の下では困難であるとの考慮から(前出「裁判例概観」八七頁)、かかる場合に技術的範囲を限定解釈する判断の他、権利濫用を認めた例が少数ではあるが地方裁判所の判決に見られる。しかし、このような法理については、「権利濫用の法理は個々のケースごとの利益較量によって結論が出されるものであるのに対し、特許権が全部公知で無効理由を有する場合は当該特許権による権利の行使はすべて権利の濫用であるというのは、定型的にすべて同一の結論を導くもので、本来個別的判断を要する権利濫用論には馴染まないものといえる。」(設楽隆一「特許発明が全部公知である場合の技術的範囲の解釈」〔裁判実務大系九巻「工業所有権法」一五〇頁〕)あるいは「特許発明が全部公知である場合の考え方にはいろいろあり、権利濫用の構成を採るのもその一つであるが、このような場合に権利濫用の法律構成をするのは必ずしも実務で一般的に受け入れられているとはいえない。」(前出「処理に関する諸問題」一五九頁)と批判されている。

全部公知の場合において技術的範囲を限定する説を採用する高等裁判所の唯一の裁判例として、大阪高裁昭和五一年二月一〇日判決(無体裁集第八巻一号八五頁)がある。この判決は、「金属編籠の縁編組装置」に関する実用新案登録につき、その構成要件はすべてその出願当時公知公用であったものと認められるが、無効審判の確定がない限り裁判所としては、当該実用新案を有効として取り扱わなければならないとして、当該実用新案の技術的範囲は、実用新案公報の登録請求の範囲に記載されている字義どおりの内容を持つものとして最も狭く限定して解釈するのが相当であるとしたものである。(ただし、この事件の上告審である最高三小昭和五七年三月三〇日判決(民集一三五号四六一頁)は、その口頭弁論終結時においては既に当該実用新案権を無効とする審決が確定していたことから、当該実用審案権が存在することを前提とする上告人らの請求を失当として棄却したため、侵害訴訟における全部公知と技術的範囲の解釈との関係については全く判断が示されていない。)

(二) また、東京高裁平成六年(ネ)第三三七五号特許権侵害差止等請求控訴事件の平成七年五月一八日判決(知的裁集二七巻二号三三二頁)は、当該特許発明が「出願前全部公知であり、無効であることが明白である」旨の控訴人の主張に対し、「特許権は、特許庁が出願人に対し特許権を付与すべきものとする行政処分である特許査定に基づき設定登録されることにより効力を生じるものであり、行政処分はそれが当該行政庁によって取消、撤回されない限り適法として扱われるという意味でいわゆる公定力を有するものであること、違法な行政処分によって侵害された国民の権利ないし法的利益を救済するための制度として抗告訴訟制度が設けられており、抗告訴訟を管轄する裁判所により当該行政処分の適否が審査されること、特許権に無効原因があるときは、特許法一二三条により特許庁に対しその特許を無効にすることについて審判を請求することができ、特許庁が右請求についてした審決に対しては同法一七八条に基づく東京高等裁判所に取消訴訟を提起することができ、これにより特許権の得喪については専門技術官庁である特許庁に第一次的判断を委ねるとともに、抗告訴訟により裁判所の判断を受けることを保障し、もって特許庁と裁判所との権限配分を図っていること等に照らすと、このような手続とは別個に特許権侵害訴訟において特許権無効を主張立証することを許容し、特許権無効を理由に直ちにその請求を棄却することは許されない、といわざるを得ない。」との原則を述べた上で「もっとも、当該特許権に係る技術的思想がその出願前全部公知であって、特許すべきものでないことが明白であるにも拘らず、かかる特許権に基づいて対象物件について特許権侵害を理由に差し止めあるいは損害賠償を請求することは、権利の濫用として許されない場合があると考えられるから、本件の場合、まず本発明が控訴人主張の乙第八七号証発明によりその出願前全部公知であったかについて検討する。」として、具体的に検討し、結局「本発明が本出願前全部公知であったことを前提とする控訴人の主張はその前提を欠き、採用することができない。」と判示したものである。

右の東京高裁判決においても、原則として侵害審理裁判所が特許無効の判断をすることは許されず、仮に権利濫用の主張が認められる場合があるとしても、それは特許発明が全部公知で明白に新規性を有しない場合に限られることを明確に述べている(しかも、当該事件では、単一の公知文献と比較して全部公知であることを否定したものである。)。

(現実に、右東京高裁判決の担当裁判官は、別の論文で大阪地裁平成二年七月一七日の判決(取消集(一八)三八四頁)について「大阪地平成二・七・一九判決は、明細書の補正が要旨変更に該当し、特許法四〇条により手続補正書の提出日まで繰り下げられる結果、本件発明は右提出日前に公然実施された発明と同一となるから、明らかな無効原因を有する発明であり、その技術的範囲は明細書に記載された実施例と一致するものに限られる、と判示しているが、侵害訴訟において特許権付与手続の当否についてここまで介入した上、技術的範囲の実施例に限定するのは、問題であろう。」と述べている(武田稔著「知的財産権侵害要論」五七頁)。従って、前記引用の東京高裁の判決も、分割出願の適否にまで踏み込んで、出願日を確定し、その上で当該特許に無効を判断することを許容する趣旨ではないことは明らかである。)

(三) 以上のとおり、若干の裁判例において「当然無効であるから権利濫用である」という議論がなされているとしても、当該訴訟の対象である特許発明が単一の刊行物により全部公知であることが明らかな場合に限られており、本件のように、出願経過を詳細に検討した結果、訴訟の対象である特許発明が原出願のかかる発明と実質的に同一であるから出願手続での分割が違法であったことが認定されるというような場合ではない。しかも、下級裁判所の裁判例においてもこのような議論がなされた全部公知とは、「公知技術をその発明(考案)の技術的範囲から除いてしまったならば、残存するものはほぼ何もないような事例が多い」(前記設楽論文一三七及び一三八頁)のであって、新規性のある発明の公開の代償として独占権が付与されるという特許制度の本質に反することが一見明白な場合に限って特許権の行使を制限しようとするものである。これに対し原判決は出願経過を異例に詳細に参酌して本件特許権の無効の判断をしたものであって、従来の下級裁判所の裁判例とも全く異なるものであり、無制限に訴訟対象特許の有効・無効の判断に立ち入ったものというべきである。

8(一) 以上のとおり、日本の特許制度の下では、侵害審理裁判所は、特許権の有効・無効について判断することは許されないにもかかわらず、原判決は実質的に本件特許権の無効を前提とする判断を行ったものである。

(二) また、万一仮に訴訟対象特許の無効事由について考慮できる例外を侵害審理裁判所に認めることが相当であるとしても、それは、訴訟対象特許にかかる発明が全部公知、すなわち、公知技術を除いてしまえば、何ら新規性のある部分がみとめられないことが一見明白である場合に限られるべきであるにもかかわらず、原判決は、本件特許権の出願経過を詳細に検討し、出願経過における分割出願の適否にまで踏み込んで本件特許権を無効と判断したものである。

(三) しかも、原判決を下した東京高等裁判所が侵害審理裁判所として本件特許権を無効と判断したことは、特許庁の本件特許権の無効審判の審決に影響を与えたものであり、特許庁に特許権の有効・無効の第一次的判断を委ね事後的にのみ審決取消訴訟を通じて特許庁の判断に司法審査をするという審決取消訴訟制度の趣旨に反するものである。

(四) さらにいえば、原判決が本件特許権を無効であると判断した理由は、本件発明が拒絶査定の確定した原出願にかかる発明と同一であるということであり、これは二重特許(ダブル・パテント)の排除の要請のように特許制度の本質に関係がなく、しかも、このような手続的瑕疵について権利濫用の法理を適用する実質的合理性はない。

(五) よって原判決に判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備があることは明白である。

第三 上告理由の第二点について

原判決は、旧特許法の解釈を誤り、分割出願の適否の判断にあたり、既に拒絶査定の確定した原出願と本件発明との同一性を問題とした点並びにこれらが同一であるとの結論にもとづき本件特許出願が出願日遡及の利益を享受することができないものであったから、本件出願は原出願に遅れて、原発明と同一の発明につき特許出願したものとして、特許法三九条一項の規定により本来特許されるべきではなかったものとした点において、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

一 適用法令について

1 旧特許法における確定した拒絶査定にかかる先願の意味

(一) 昭和三四年特許法の特許法施行法二五条一項により「旧法によりした特許」の無効審判については、無効事由は旧法五七条一項及び二項に規定されたものに限定される。同条一項一号は、左のとおり規定している。

「 特許カ左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ審判ニ依リ之ヲ無効ト為スヘシ

一 特許カ第一条乃至第三条、第八条又ハ第三二条ノ規定ニ違反シテ与ヘラレタルトキ」

(二) 旧特許法八条は、現行特許法三九条一項及び二項の規定に対応する規定であり、いわゆる先願主義を明示した規定である。すなわち、旧特許法八条は、左のとおり規定している。

「 同一発明ニ付テハ最先ノ出願者ニ限リ特許ス但シ同日ノ各別ノ出願者アルトキハ出願者ノ協議ニ依リ特許シ協議調ハサルトキハ共ニ特許セス」

(三) 旧法特許八条は、先願主義について明言しているが、これは、従前の特許法(専売特許条例〔明治一八年布告第七号〕四条、明治三二年特許法〔明治三二年法律第三六号〕一条、いわゆる明治四二年特許法〔明治四二年法律二三号〕九条参照)が、先発明主義を採用していたのを改正したものである。

清瀬一郎著「特許法原理」(大正一一年九月一八日発行)には、第一編総論の第五章「特許法改正要点」の「一 政府提供の改正理由」の(一)として、左のとおり説明されている。

「先願者特許主義ヲ採用シタルコト(第八条) 現行法ニ依レハ同一発明ニ付キ特許ヲ出願シタル者二人以上アルトキハ最先発明者ニ特許ヲ与フヘキモノトシ、二以上ノ出願ニ付先ツ抵触査定ヲ為シ、其査定ニ対シ再審査及抗告審判ノ請求ヲ為スヲ得セシメ、抵触査定確定ノ後其ノ発明完成ノ前後ヲ審理スルカ為メ権利確認ノ審査及抗告審判ヲ経テ大審院ニ出訴スルコトヲ得セシム。従テ特許出願ノ日ヨリ特許ノ許否ノ確定ニ至ル迄ニ多クノ日数ヲ要ス。又権利確認ニ関スル従来ノ実例ニ徴スレハ発明完成ノ日ノ立証ハ頗ル困難ニシテ、結局先願者ニ特許ヲ与ヘタル場合甚タ多シ。加之先願主義ヲ採用スレハ発明者ヲシテ可成速ニ特許ヲ出願セシムルコトトナリ、早ク社会ヲシテ発明ノ恩沢ニ浴セシムルノ利益アリト認メラル。」

(四)(1) 以上のとおり、旧特許法八条は、先発明主義を改め先願主義を規定したものではあるが、取り下げのあった先願、放棄された先願、無効とされた先願または拒絶査定が確定した先願についても先願としての地位を認めて後願につき旧特許法の違反として排除する効果を認めたものではない。

(2) 同一の発明について二重の特許権(ダブル・パテント)を排除する要請は、特許権として成立した先願についてのみ先願の地位を認めれば必要かつ十分であり、取り下げ、放棄、無効ないし拒絶査定が確定した各先願について、先願たる地位を認める合理性も存しない。

(3) 同様な法制度を採用する旧西ドイツ特許法においても、先願権という概念が認められていたが、特許にならなかった先願には、先願権が認められず、したがって、同一発明につき、二つ以上の出願が特許庁に係属しているときは、先願の処分が確定するまで、後願の審理を保留するという取り扱いがなされていた(「西ドイツ特許制度の解説」(昭和四八年一二月一日発行)Dr.V.Tetzner著、布井要太郎訳)。

(五) なお、これに対し、現行特許法三九条五項、昭和三四年特許法三九条五項の解釈としては、同条の規定には、取り下げられ又は無効にされた先願についてのみ「初めからなかったものとみなす」と規定され、拒絶査定が確定した先願については「初めからなかったものとみなす」と明記されていないため、拒絶査定の確定した先願についても先願の地位を認める見解が多数説のようであるが、旧特許法八条にはこのような規定は存在しない。したがって、このような解釈は、旧法に適用されるものではない。

2 旧特許法九条一項における分割出願の要件

(一)(1) 旧特許法九条一項は、分割出願につき左のとおり規定している。

「 二以上ノ発明ヲ包含スル特許出願ヲ二以上ノ出願ト為シタルトキハ各出願ハ最初出願ノ時ニ於テ之ヲ為シタルモノト看做ス」

(2) また、同法施行規則四四条は、左のとおり規定している。

「 二以上ノ発明ヲ包含スル特許出願ヲ二以上ノ出願ト為サムトスル者ハ其ノ一発明ニ付テハ出願ヲ訂正シ同時ニ他ノ各発明ニ付新ナル出願ヲ為スヘシ」

(3) この点につき、吉原隆次著「全訂特許法詳論」(昭和一一年五月三〇日第六版発行)六七頁には、左のとおり述べられている。

「 特許出願ノ分割ニ在リテハ目的物ノ同一ナルコトヲ要ス。目的物ノ同一トハ原特許出願ノ訂正削除セラレタル部分ト新ナル特許出願ノ目的物トガ実質的ニ同一ナルコトヲ要ストノ意味ナリ。内容的ニ同一ナレバ足リ、要旨ニ於テ一致スルモノハ同一ノモノナリ。所謂同一性アルモノハ同一ノモノナリ。目的物ガ同一ナラザル場合ニ於テハ出願ノ遡及ノ利益ハ認メラレザルナリ。」

(二)(1) このように、原出願の明細書に開示されていない技術事項について分割出願がなされた場合には、出願遡及の利益は認められない。しかしながら、分割出願にかかる発明と原出願にかかる発明とが実質的に同一の場合に、一律に出願日遡及の利益を否定すべき合理的理由はない。すなわち、このような場合、二重特許(ダブル・パテント)の排除という要請からすれば、双方の特許出願につき特許権が付与されるのを防止すれば必要かつ十分であるからである。

(2) 同一の出願人が二つ以上の特許出願をした場合について、前記吉原「全訂特許法詳論」六〇頁には、旧特許法八条に関し、左のとおり述べられている。

「 同一人ガ同一発明ニ付二以上ノ特許出願ヲ為シタルトキハ本条ノ精神ニ依リ最先ノ出願ニ付特許査定ヲ為シ他ノ出願ニ対シテハ拒絶査定ヲ為スベキモノナリ。乍併最先ノ出願ヲアヤマリテ拒絶シタル場合ニ於テ第二ノ出願ニ付他ニ拒絶ノ理由ナキトキハ特許査定ヲ為スベキモノニシテ後願ナリトシテ本条ヲ適用シ、拒絶査定ヲ為スベキモノニ非ズ。」

この見解は、分割出願の場合にも適用されるべきものである。

(三)(1) 以上のとおり、原出願にかかる発明と分割出願にかかる発明とがたとえ同一であっても、一方の出願にのみ特許が付与される限りにおいて特許法の趣旨に反するものではなく、一方の出願にのみ特許が付与された場合に分割出願の出願日遡及の利益を否定する合理性はない。

したがって、同一の発明にかかる原出願と分割出願とが併存しても何ら違法ではなく、双方の出願に特許が付与されることを違法として許容しなければ十分なのである。また、万一仮に、同一の発明にかかる原出願と分割出願とが併存することは違法であると解したとしても、一方の出願が取り下げられ、放棄され、または無効とされた場合の他、一方の出願に拒絶査定が確定した場合にも、他方の出願についてその瑕疵は治癒されたものと解すべきである。このように解してこそ、二重特許(ダブル・パテント)の排除の要請を満たしつつ、発明の公開の代償として特許権を付与するという特許法の趣旨に合致するのである。

(2) このように解する合理性及び必要性は、分割出願時において原発明との発明の同一性が問題とされておらず、本件のように、出願の審査中においては異議決定において発明の同一性が否定され、特許成立後長年が経過した後において、はじめてその同一性が問題とされた場合に、とりわけ高いといえよう。何となれば、分割出願時において発明の同一性が問題とされれば、出願人としては、原出願の取り下げ等をしたり、あるいは、特許請求の範囲の記載を補正することにより、この問題を解消することが可能であるのに対し、特許成立時においてはこのような対応は不可能であり、結局のところ、有効な特許権を取得できなくなるからである。

(3) 旧西ドイツ特許法においても、二重特許(ダブル・パテント)排除の観点から、同様な解釈が採られている。西ドイツ特許制度の解説八三頁には、「もちろん、この場合、各分割に際して、二重特許とならないように注意が払われなければならない。したがって、分割された二つの出願の特許請求の範囲の項は、(先願権に対する関係と同様)相互に限界づけられなければならない。」と説明されている。

(五) なお、原判決は、「分割出願に係る最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明が原出願の最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明と実質的に同一の場合には、いわゆる二重特許を許さない法の趣旨からして、このような分割出願は不適法というべきである」(九九頁五ないし九行)というが、むしろ「二重特許を許さない法の趣旨」からすれば、前述したとおり解するのが相当である。

二 原判決の法令違背等

1(一) 以上のとおり、本件特許権の無効事由は、特許法施行法二五条一項により旧特許法五七条一項及び二項に規定されたものに限定されるところ、本件特許権には右の条項に該当する無効事由は存在しない。

(二) すなわち、二重特許(ダブル・パテント)の排除の要請からすれば、先願主義を規定した旧特許法八条の解釈においては、拒絶査定が確定した先願につき先願としての地位を認めるべきではない。

また、原出願の明細書に開示されていない技術事項について分割出願がなされた場合と異なり、原出願にかかる発明と分割出願にかかる発明とが実質的に同一の場合に一律に出願日遡及の利益を否定すべきではなく、二重特許(ダブル・パテント)の排除の要請にもとづき、双方の特許出願につき特許権が付与されるのを防止すれば必要かつ十分である。

2(一) これに対し、原判決は、具体的な理由を示すことなく、拒絶査定の確定した原出願に先願の地位を認め、本件発明は原発明と実質的に同一であるとの理由により、本件特許権にかかる分割出願不適法と結論し、旧特許法九条一項の出願日の遡及の利益を享受できないとしたものであって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備があることは明らかである。

(二) また、たとえ本件発明が原発明と実質的に同一であるとしても、原出願について特許が付与されていない以上、本件特許出願は出願日遡及の利益を享受しえるにもかかわらず、原判決は、この利益を享受しえないと結論するものであって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備があることは明らかである。

(三) さらにいえば、万一仮に、本件特許出願は、分割出願時においては瑕疵を有していたと解すべきであるとしても、原出願の取り下げ、無効の場合と同様に、原出願の拒絶査定が確定したことにより、その瑕疵は治癒されたとみるのが相当であり、いずれにしても、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

第四 上告理由の第三点について

原判決は、被控訴人の主張しない本件特許権の満了による消滅及び権利濫用の抗弁を認定したものであり、原判決には、弁論主義に違反しよって判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

一 原判決の認定

1(一) 原判決は、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁を認定している。

(二) 本件特許権の存続期間の満了による消滅を認定した右判決の論理を要約すれば、左のとおりである。

① 本件発明は原発明と実質的に同一である。

② 本件特許出願の分割出願は不適法である。

③ 本件特許出願は出願日遡及の利益を享受することはできない。

④ 本件特許出願の出願日は昭和四三年一二月二一日である。

⑤ 本件特許出願には昭和三四年特許法(昭和三五年四月一日施行)の適用を受ける。

⑥ 本件特許権の存続期間は、同法六七条一項但書の規定により「特許出願の日から二十年をこえることができない。」

⑦ 本件特許権は、平成三年一二月二一日の経過により満了した。

(三) 権利濫用の抗弁を認定した右判決の論理を要約すれば、左のとおりである。

①ないし⑤ 前記(二)①ないし⑤と同じ。

⑥ 原出願は本件特許権の先願になるので昭和三四年特許法三九条一項が適用される。

⑦ 本件特許権は右三九条一項違反により無効とされる蓋然性はきわめて高い。

⑧ このような無効とされる蓋然性がきわめて高い特許権に基づき第三者に対して権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきではない。

2 原判決は、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁を認定した理由につき、左のとおり述べている。

「 なお、被控訴人は、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁をそれとして明示してはいないが、本件発明と原発明が実質的に同一であることを理由とする本件分割出願の不適法を主張し、本件特許が無効とされるべきことを述べている以上、これらの抗弁を基礎づける事実は弁論に上程されているものと認めて差し支えないというべきである。」(一〇三頁ないし八行)

二 被上告人の主張

1 被上告人は、最終準備書面である被控訴人第五準備書面の七において「分割出願の不適法」と題し、左のとおり主張している。

「 本件発明の解釈及び侵害の成否については、前記三ないし六に述べたとおりであるが、本件特許は、分割出願の要件を充たさない不適法な再分割出願により取得されたものであり、出願日遡及の効果を享受できず、その結果新規性を欠くことが明白である。この点を考慮すると、本件発明の技術的範囲は、本件特許明細書に開示された具体的構成に限定されるから、対象物件は、本件発明の技術的範囲に属さない。(七六頁一一行から七七頁二行)

このような被上告人の主張は、第一審から一貫している(原告第七準備書面一八ないし三九頁参照)。

2 このように、被上告人は、分割出願の不適法を本件発明の技術的範囲を限定する根拠として一貫して主張したものである。被上告人は、侵害訴訟手続において、訴訟対象特許が無効を主張することはできないとの大前提に立って、「無効」という語すら使用していない。

3 すなわち、被上告人は、前記(二)の⑤ないし⑦の「存続の期間の満了」及び(三)の⑤ないし⑧の「権利の濫用」については一切主張しておらず、原審においてこれらの点は争点となっていなかったものである。

三 原判決の法令違背等

1 このように、被上告人は、分割出願の不適法を根拠として本件発明の技術的範囲を限定し、対象物件が本件発明の技術的範囲に属することを積極的に否認したのであって、分割出願不適法の効果として、昭和三四年特許法六七条一項但書の規定により特許期間が満了する旨や本件特許権が本来無効であり権利濫用となる旨については一切主張していない。

しかるに、原判決は、被上告人の主張にもとづくことなく本件特許権の存続期間満了及び権利濫用の抗弁を認定したものであって、弁論主義に違反するものといわなければならない。

2 また、原判決は、原審において、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁の主張を提出するか否かを釈明することができたにもかかわらず、この点を怠ったものである。

このような点について釈明権の行使があれば、上告人としてはしかるべき反論をし、当事者双方の主張により争点が明確になったはずである。上告人としては、全く予想しない抗弁の認定を受けたものであって、このような認定は不意打ちである。とりわけ、本件訴訟においては数多くの争点が被上告人から提出されており、また、分割出願不適法の点は第一審の東京地裁の判決の理由にもなっていない。このような状況において、原審裁判所による釈明権の行使がなければ、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁の主張について、被上告人が予期することは事実上不可能である。

3 よって、原判決には、弁論主義違反、釈明権の不行使による、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

第五 上告理由の第四点について

原判決には、本件発明と原発明との比較にあたり、本件発明と原発明のそれぞれについて、特許請求の範囲の記載にもとづかず、原々出願当初明細書、原々出願公告時明細書、原々出願補正明細書、原出願当初明細書、米国出願明細書の記載を参酌して、本件発明の要件(e)その他の要件を解釈し、一方、原出願の特許請求の範囲には対応する要件の記載がないのにこれを含むものと解釈し、両発明が実質的に同一であると判断した点において、旧特許法(大正一〇年法律第九六号)九条一項、同施行規則三八条四項の法令に違背し、また、最高裁判所の判例(昭和六二年(行ツ)三号平成三年三月八日第二小法廷判決、民集四五巻三号一二三頁、以下「リパーゼ事件判決」という)に違背し、よって原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背(最高裁判所の判例違背)、審理不尽、理由不備がある。

一 適用法令について

1 本件特許権は原判決が認定したように(三九頁一ないし八行)、一九五九年二月六日及び同年二月一二日の各米国出願に基づく優先権を主張して、昭和三五年二月六日の出願を原々出願とし、同時特許出願からの分割出願として昭和三九年一月三〇日に出願された原出願から、更に、昭和四六年一二月二一日に分割出願された出願に対し付与されたものである。従って、本件特許権は昭和三四年特許法の施行法二〇条一項の規定により、なお従前の例によるものとして旧特許法による審査手続、審判手続を経て特許されたものである。よって、本件特許の分割出願の適法性については、まずは旧特許法が問題となるところ、旧特許法には、昭和三四年特許法三六条に対応する規定は存在しなかったものの、特許法施行規則三八条四項に、「特許請求ノ範囲ニハ発明ノ構成ニ欠クヘカラサル事項ノミヲ一項ニ記載スヘシ」と規定され、発明の同一性を判断するにあたっては、特許請求の範囲の記載に基づいて各発明を認定しこれを比較判断しなければならないということにおいては確立していたものである。

さらに、前記リパーゼ事件判決において最高裁判所は、昭和三四年特許法に基づきなされた特許出願について「特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみに記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願〔上告人(注)、リパーゼ事件の出願〕については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法三六条五項の規定)からみて明らかである。」と判示した。

このリパーゼ事件判決の判旨が、特許侵害事件における特許発明の技術的範囲の確定、すなわち、現行特許法七〇条一項及び二項に適用されるべきか否かについてはその後の下級審の裁判例において意見の分かれるところである。しかしながら、出願過程における発明の要旨の認定については、リパーゼ事件の最高裁判所判決の右判旨は確立したものである。

そして、本件においては、発明の新規性、進歩性の問題ではないにしても、出願過程における発明の同一性(原出願にかかる発明と分割出願にかかる発明の同一性)が争点であり、かつ、前記特許法三六条五項二号に対応する旧特許法施行規則三八条四項の特許請求の範囲の記載にかかる発明の認定の問題であるから、リパーゼ事件判決は本件に対して先例となる最高裁判所判決である。

2(一) 一方、旧特許法九条一項は、「二以上ノ発明ヲ包含スル特許出願ヲ二以上ノ出願ト為シタルトキハ各出願ハ最初出願ノ時ニ於テ之ヲ為シタルモノト看做ス」と規定していたが、原判決も指摘するとおり(九八頁一〇行から九九頁五行)、旧法下においても、特許請求の範囲に二以上の発明が包含されている場合に限らず、明細書の発明の詳細な説明に二以上の発明が包含されていれば、その記載に基づいて、分割出願をすることが許されていた。

したがって、分割出願時においては、原出願の明細書の発明の詳細な説明の記載と分割出願の明細書の発明の詳細な説明の記載とが、一部において共通ないし類似していることは、分割出願の適法性を基礎づけるものであって、各出願の明細書の発明の詳細な説明の記載が、一部において共通ないし類似しているからといって、分割出願にかかる発明が、原出願にかかる発明と同一であるとすることはできない。

また、実際上、原出願の明細書の発明の詳細な説明の記載と分割出願の発明の詳細な説明の記載とが、明瞭に区別されるように、原出願の明細書の適切に補正がなされず、分割出願にかかる発明に関する記載が原出願の明細書の発明の詳細な説明中の一部に残ったりすることもしばしば見受けられたところであるが、このような場合でも、発明の詳細な説明の記載が、一部において共通ないし類似しているからといって、分割出願にかかる発明が、原出願にかかる発明と同一であるとすることはできず、あくまでも、特許請求の範囲の記載に基づいて、原出願にかかる発明と分割出願にかかる発明との同一性が判断されなければならない。

もっとも、特許請求の範囲に記載された文言が一義的に理解できないとか誤記の明らかな場合はリパーゼ事件判決の述べるように、文言の意味を確定するために、発明の詳細な説明の記載を参酌することは許されるが、その際、原出願の明細書につき補正がなされていれば当然、補正後の明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しなければならない。補正がなされているにもかかわらず、補正前の明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌して、特許請求の範囲に記載された文言の意味を確定することは、許されないのである。

(二) また、明細書の発明の詳細な説明には、特許請求の範囲に記載された発明のみが記載されているとは限らず、二以上の発明が記載されていることがしばしがあるからこそ、明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて、分割出願をすることが許容されていたのである。加えて、発明の詳細な説明の項に、実施例として記載された装置などに、二以上の技術的思想、すなわち、二以上の発明が化体されていることはしばしばあり得ることであり、したがって、原出願の明細書に記載された実施例と、分割出願の明細書に記載された実施例とが外見上同一であるという事実は、分割出願にかかる発明と原出願にかかる発明とが同一であることを基礎づけるものではないことも当然である。

(三) さらに、分割出願にかかる発明が原発明の実施態様の一つであるということだけでは、分割出願にかかる発明と原出願にかかる発明とが同一であるということはできない。すなわち、分割出願にかかる発明において、原出願にかかる発明との間に特許を付与するに値する技術的意義が認められれば、このような場合にも、分割出願にかかる発明に特許が付与されるのである。

(四) 原判決は、右に述べた法令の適用、とりわけ、リパーゼ事件の最高裁判所判決で明らかにされた法解釈に違背して、原出願の発明および本件発明の要旨を、それぞれの特許請求の範囲の記載が明確であるにもかかわらず、特許請求の範囲の記載に基づかないで認定したことは、原判決の内容から一見して明らかであり、その法令違背、審理不尽、理由不備も明白である。従って、上告事由第四点については右のごとく要約できるが、以下に念のため、詳細を摘示する。

二 原判決の認定と法令違背等

1 原判決の認定

原判決は、原出願の特許請求の範囲の記載と本件特許の特許請求の範囲の記載とを対比して、原発明と本件発明との同一性の有無を認定しているかのような形式を採ってはいるが、その実は、それぞれの特許請求の範囲の記載に基づかず、原出願の明細書および本件明細書の発明の詳細な説明の記載、しかも、原出願補正明細書のみならず、原出願当初明細書の発明の詳細な説明の記載に基づき、さらには、原々出願当初明細書、同公告時明細書および同補正明細書の各発明の詳細な説明の記載、ならびに、原々出願および原出願の優先権主張の基礎となった米国出願明細書の記載まで参酌し、本件発明が原出願にかかる発明と同一であると認定したものである。

すなわち、原判決は、

① まず、原出願の最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲の記載と、本件発明の特許請求の範囲の記載を比較し(四〇頁二行から四三頁末行)、

② 本件発明の特許請求の範囲記載中の「電子回路」、「半導体装置」、「引出線」、「不活性絶縁物質」の要件が、実質上、原出願の発明の構成要件として記載されていると認定し(四四頁一行から六二頁八行)、

③(イ) 原発明の特許請求の範囲には、回路素子の「離間につき、能動回路素子が受動回路素子との間に必要な絶縁を与えるように、害受動回路素子から離間されて……形成され」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には「複数の回路素子……互いに離間して形成されており」と記載されていると認定し(五二頁四ないし九行)

(ロ) 本件発明の特許請求の範囲には「(e) 上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によって本質的に平面状に配置されている」との要件が記載されているのに対し、原発明の特許請求の範囲にはこの記載がないと認定し(六二頁九行から六三頁一行)、

(ハ) 「原発明と本件発明とは、要件(a)の回路素子の『離間』の点と要件(e)の『平面状配置』の点を除き、実質的に一致ないし重複する」と特許請求の範囲の記載の相違点を認定し(六三頁四ないし六行)、

④ 次いで、原発明の「離間」について、原出願当初明細書、原出願補正明細書、原出願についての東京高等裁判所昭和五九年四月二六日判決を参酌してこれを本件明細書の詳細な説明の項の記載と比較して、本件発明における「距離的に離間」と原発明における「離間」とは技術的意義を同一にすると認定し(六三頁八行から七六頁四行)、

⑤ 最後に、本件発明の要件(e)の「平面状配置」の意義について、本件明細書の発明の詳細な説明の項、原々出願補正明細書、原出願当初明細書、米国出願明細書をすべて参酌し(七六頁五行から九〇頁四行)、「本件発明の要件(e)の『平面状配置』は、それに先立って記載されている各要件から構成された半導体装置の回路が、その結果として、『本質的に平面状に配置され』ることになることを総括して表現したにすぎない記載であり、特段の技術的意義を有しないものと評価するほかはない」と結論した(九〇頁五ないし一〇行)。

⑥ 一方、原発明については「『平面状配置』についての右考察に基づけば、前示のとおり、原発明の各要件が本件発明の要件(e)を除く各要件と実質的に同一もしくは重複するものであるから、原発明もまた、本件発明の要件(e)に示す『……本質的に平面状に配置されている』構成を備えている」ものと認定し、原出願当初明細書の第6a図、第6b図と同一の図面が本件明細書の第1図、第2図、原出願補正明細書の第1図、第2図であることにより、「これに示されているマルチバイブレーター回路が原発明及び本発明の実施例として記載されていること」により裏付けられると述べている(九一頁一ないし末行)。

⑦ その上で、「以上の考察によれば、本件発明は原発明と実質的に同一と認められ」ると結論した(九六頁末行)。

以上が、原判決が本件発明の構成要件(e)および原発明の対応要件と認定した概略である。

2 本件発明の要件(e)「平面状配置」の認定について

前項⑤に述べた本件発明の要件(e)の「平面状配置」に関連する原判決の認定は、本件発明の構成要件(e)中の「平面状配置」という文言自体明白な意義を有する語について、リパーゼ事件判決のいう「特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解できないとか、あるいは、一見してその記載が誤記である」等の「特別な事情」がないにもかかわらず、明細書の発明の詳細な説明の参酌は勿論、前述の実に多くの資料を参酌して「特別な技術的意義がない」とした点において、本来許されない各種資料の参酌を行ったものである。

(一) 本件発明の要件(e)の「平面状配置」における「平面」とは、幾何学上、「線」に対する縦横二方向に拡がる概念を意味するものであり、したがって、「平面状配置」も、複数の回路素子および複数の回路接続用導電物質によって、電子回路が、縦横二方向に拡がった状態で、すなわち、二次元的な拡がりをもって、配置されていることを意味するものである。また、平面という語は、米国出願明細書における“planar”に対応する語であるが“planar”の意味について、小学館ランダムハウス英和大辞典(第2版)を引くと、第一に「平面の、二次元の」という意味が挙げられている。(研究社新英和大辞典(第5版)においても、その意味として、まずは「平面の」が挙げられ、研究社リーダーズ英和辞典にも、「平面の、二次元の」という意味が挙げられている。)

従って、要件(e)の「平面状配置」の語の意義は、特許請求の範囲自体から、また、極めて一般的な技術知識からも明白であり、明細書の発明の詳細な説明の項その他の資料の参酌を要しないものである。

(二) しかしながら、第一に、原判決は、本件発明の要件(e)について、原判決は、先づ本件明細書における「平面状配置」に関する記載を抽出し、次いで原々出願補正明細書、原々出願出願当初明細書及び同公告時明細書中の対応する記載を抽出して、「本件明細書と原々出願の右各明細書の各記載を対比すれば、同一の技術内容を説明していることが明白である」とした(八四頁七及び八行)。一方、原判決は、原々出願補正明細書の特許請求の範囲には、本件発明の特許請求の範囲に記載されている要件(c)の不活性絶縁物質と回路接続用導電物質に関する構成と要件(d)の電気回路接続に関する構成が記載されていないことを認めながらも、原々出願補正明細書には、本件明細書のこれらの要件に関する記載とほぼ同文の記載とりわけ「その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」との記載があるから、本件発明のように、半導体薄板の表面上に不活性絶縁物質と回路接続用導電物質を有し、これにより回路素子の間に必要な電気回路接続する構成は、「原々出願補正明細書に開示されており、この様な構成を含めて、『得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる』としていることが明らかであ」り、このことは、「原々出願補正明細書の第6a図、第6b図が本件明細書の第1図、第2図と同一の図面であり、この図面に表示されている両発明の実施例であるマルチバイブレーター回路が同一であることからも裏付けられ」、このマルチバイブレーター回路は、「本質的に平面状に配置され」ているのである、と認定している(七六頁九行から八八頁一行)。

しかしながら、本件発明が原々出願の明細書に開示されていたからこそ、原出願を経て、本件特許を分割することができたのであり、その意味で、本件発明が原々出願の各明細書に開示されていたことは当然である。原判決の右の認定事実は、本件特許が、原々出願に由来する分割出願として適法なものであることを示すものであっても、不適法であることを示すものではない。

一方、本件発明の要件(e)の「平面状配置」に関する記載が原々出願補正明細書の発明の詳細な説明に認められるとしても、このような記載は原々出願の特許請求の範囲には一切認められない。特許請求の範囲に「平面状配置」につき記載がない以上、原々特許発明には、「平面状配置」の要件は欠如していると解するのが合理的である。このことは、原々出願補正明細書は、実施例として本件特許明細書に開示されたマルチバイブレーター回路を示す第6a図及び第6b図以外のものが第1図、第1a図、第2図、第2a図、第3図、第4図、第5図、第5a図、第8a図、第8b図、第8c図に開示されているが、これらの図面には、「平面状配置」ではなく列状ないし線状配置が示されていることからも明らかである。しかも、本件明細書は、原々出願補正明細書におけるこれらの実施例に関する記載及び図面を削除して、列状ないし線状配置を除外することにより、要件(e)の平面状配置が本件発明の特徴であることを明確にしたものである。

そして、上告人は、特許請求の範囲に記載された文言にもとづき、本件発明の要件(e)の解釈として、二次元配置(列状ないし線状配置ではなく、二次元的拡がりを持った配置)を意味すると主張したものである。(しかるに、原判決(九三頁七行から九四頁七行)は、上告人の主張は、本件発明の要件(e)に基づくものであると誤認しており、この点においても誤っている。)

なお、原判決が引用する原々出願および原出願の優先権主張の基礎となった米国出願明細書の記載は、これを忠実に翻訳すれば、原々出願の明細書および本件明細書における「その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」との記載の「その結果」の部分は原文では「asaresult」であり、本来は、「その一つの結果として、得られる回路は本質的に平面状に配置される」と訳されるべきものであり、このことは、原々出願の各明細書には、電子回路が一次元的に、すなわち、列状ないしは線状に配置された第8a図も添付されていたことからも明らかである。したがって、原々出願の各明細書は、電子回路が一次元的に、すなわち、列状ないしは線状に配置されるものをも開示しており、原々出願の明細書に開示された実施例のほとんどは、平面状配置すなわち、二次元的拡がりを具備していたわけではない。

本件発明の発明者であるキルビーの発明にかかる集積回路を実現するためには、単一の半導体薄板に形成された回路素子同士をいかにして電気的に絶縁するかという第一の課題、単一の半導体薄板に形成された回路素子同士をいかにして電気的、機械的に安定に接続するかという第二の課題、一面加工により、いかにして、単一の半導体薄板に融通性に富んだ電子回路を形成するかという第三の課題を解決することが必要であるとの認識を得て、第一の課題を解決した技術的手段が原々出願にかかる発明であり、第二の課題を解決した技術的手段が原出願にかかる発明であり、第三の課題を解決した技術的手段が本件発明である。すなわち、原々出願にかかる発明および原出願にかかる発明は、それぞれ、集積回路を形成するための回路素子の電気的絶縁および電気的接続方法という技術に関するものであり、本件発明こそが、集積回路の配置自体の発明なのである。

だからこそ、本件特許の特許請求の範囲には、「電子回路が……平面状に配置されている」旨が規定されているのであって、原々出願及び原出願の特許請求の範囲には、「平面状配置」の記載はもとより、「電子回路」の記載すらない。

(三) 第二に、原判決はさらに、本件発明の構成要件(e)に関連し、原々出願補正明細書の「平面状配置」に関する記載及び絶縁物質と導電物質による電気回路接続に関する記載は、原々出願、原出願及び本件出願の優先権主張の基礎となった米国出願明細書の各該当箇所の記載をほぼ忠実に訳したものであるから、その技術内容は同一であり、また、添付図面も、両者同一であると認められ、さらに、原出願当初明細書には、原々出願補正明細書の前示記載を受け継いで、これとその技術内容を同じくするほぼ同文の記載があり、その図面も、第9図、第10図が付加されている以外は、同一の図面であることが認められるから、「優先権主張の基礎となった右米国特許出願明細書に始まり、原々出願当初明細書から原出願当初明細書を経て、本件明細書に至るまで、そこに開示されている発明は、本件発明の要件(e)のとおり、『上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によって本質的に平面状に配置されている』のであり、その技術内容を同一にするものといわなければならない」と認定している(八九頁九行から九〇頁四行)。

原判決は、右認定に続けて「これを本件発明の特許請求の範囲の記載に即してみれば、本件発明の要件(e)の『平面状配置』は、それに先立って記載されている各構成要件から構成された半導体装置の回路が、その結果として、『本質的に平面状に配置され』ることになることを総括して表現したにすぎない記載であり、特段の技術的意義を有しないものと評価するほかはない。これを覆すにたりる資料は本件全証拠によっても見出すことはできない」との認定(九〇頁五ないし末行)を導いている。

しかしながら、米国出願明細書に始まり、原々出願当初明細書から原出願当初明細書を経て、本件明細書に至るまで、「上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によって本質的に平面状に配置されている」発明が「開示されている」から、本件発明の要件(e)の「平面状配置」は、それに先立って記載されている各構成要件から構成された半導体装置の回路が「その結果として、本質的に平面状に配置されることになることを総括して表現したにすぎない記載である」と結論することは論理の飛躍も甚だしい。

原判決が、右のように出願経過を優先権の基礎となった米国出願明細書にまで遡り、さらに原々出願当初明細書から原出願当初明細書を経て、本件明細書に至るまで、「上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によって本質的に平面状に配置されている」発明が開示されていたという事実は、本件発明が、米国出願明細書、原々出願当初明細書および原出願当初明細書に開示されていたこと、すなわち、本件の分割が適法であったことを明らかに示すにすぎない。逆に、いかなる論理構成をもってしても、この事実から、原判決のごとく「本件発明の要件(e)の平面状配置」が、それに先立って記載されている各構成要件から構成された半導体装置の回路が、「その結果として、本質的に平面状に配置されることになることを総括して表現したにすぎない記載である」との結論を導くことは不可能であり、原判決の右認定は理由不備、審理不尽といわざるを得ない。

3 原発明の認定について

原判決は、原発明については、「さらに原出願当初明細書(甲第三号証の五の2)には、右原々出願補正明細書の前記記載を受け継いで、これとその技術内容を同じくするほぼ同文の記載(……)があり、その図面も、第9図、第10図が付加されている以外は、同一の図面であることが認められる」と原々出願当初明細書から原出願当初明細書への記載の承継があることを認定している(八九頁三ないし八行)外は単に「前示のとおり、原発明の各要件が本件発明の要件(e)を除く各要件と、本質的に同一もしくは重複するものであるから、原発明も、また、本件発明の構成要件(e)に示す『……本質的に平面状に配置されている』構成を備えている」と認定しているにすぎない(九一頁一ないし六行)。

原発明についての右の認定は余りに簡単であり、原出願補正明細書の特許請求の範囲に記載されていない事項を安易に追加したものであり、まさに、リパーゼ事件判決の判旨が違法とする認定である。しかも、原判決は、原発明に関し、原出願補正明細書では、原出願当初明細書が補正され、その発明の詳細な説明の項の記載から平面状配置に関する記載が削除されていることが弁論の全趣旨からうかがえると認めながらも、「この記載の削除により、原発明の実質が、その出願当初明細書に開示された発明と『平面状配置』の点で異なるものとなったとはいえない」と認定している(九二頁一ないし六行)。

しかしながら、上告人は、原出願の右補正により原出願の明細書の記載から「平面状配置」に関する記載を削除したに止まらず、本件明細書では原々出願補正明細書の線状ないし列状配置に関する実施例の記載及び図面を除外し、両発明を明白に区別したものである。このような補正により、上告人は、原出願と分割出願の判断の同一性や重複を回避したものであり、特許庁審査官も、同一と判断すれば補正を促すものである。原判決は、かかる補正の重要性をいとも簡単に否定している。又、この点は、原発明についての東京高裁判決は、列状ないし線状配置された電子回路であるジョンソンの発明(乙第五号証)について、原出願にかかる発明の半導体装置とシリコン酸化物よりなる絶縁物質で被覆する点を除けば、実質上同一であると認定したことからも明らかである。すなわち、右東京高裁判決は、原発明が線状、列状配置であり、平面状配置ではないことを当然の前提としたものであることからも明らかである。いずれにしても、分割出願の適否を判断する際に対比されるべきは原出願の補正後の最終明細書であることは明らかであるのに、原判決は、右のとおり原出願当初明細書の記載に基づき、本件発明と原出願にかかる発明との同一性を判断した誤りがある。

4 本件発明の要件(e)と原発明の対比の認定について

原判決は、続いて、「本件発明において、複数の回路素子はすべて単一の半導体薄板の主要な表面上に形成され、この主要な表面上に形成された複数の回路素子と複数の回路接続用導電物質によって、平面状に、すなわち、二次元的な拡がりをもって、電子回路が形成されている点に特徴を有するのに対し、原発明においては、半導体薄板の主要な表面と裏面にも回路素子が形成され、これらを接続して表面と裏面にわたって電子回路が形成されても差し支えなく、したがって、原発明を実施した半導体装置における電子回路は単一の半導体薄板の主要な表面上に電子回路が形成されることを要せず、列状ないし線状の配置が許容されているから、本件発明にいう平面状配置ではない」との上告人の主張に対し、上告人の解釈に従うと「原々出願に係る発明も、原発明と同じく、複数の回路素子のすべてが主要な表面に形成されることを要件としていないから、列状ないし線状の配置を許容するもの、すなわち、平面状配置ではないといわなければならないことになる」が、「原々出願補正明細書には、『得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる』と明示されているのであって、上告人主張の帰結とは明らかに異なる」と認定している(九二頁七行から九六頁一行)。

しかしながら、原々出願の特許請求の範囲に記載に基づくならば、原々出願にかかる発明は、列状ないし線状の配置をも許容するものであることは明らかである。すなわち、原々出願補正明細書に開示された実施例のほとんど(第1図、第1a図、第2図、第2a図、第3図、第4図、第5図、第5a図、第8a図、第8b図、第8c図)は、列状ないし線状配置のものである。したがって、原々出願の明細書に、「得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」と記載されてはいるが、この記載は、特許請求の範囲に記載された原々出願にかかる発明についての説明ではなく、原々出願の明細書に開示された二以上の発明のうちの一の発明についてのものにすぎない。よって、原々出願にかかる発明も、平面状配置ではないといわなければならないことになるという理由から、上告人の主張を斥けたことの誤りは明白である。

本件発明前にあっては、電子回路といえば、プリント基板上に、個別の回路素子を並べて、はんだ付けで、回路素子間を接続するものが一般であり、単一の半導体薄板に電子回路を作り込んで、小型で、電気的機械的に安定で、融通性に富んだ集積回路は、原々出願、原出願および本件特許によって初めて提案されたものである(乙第一七号証)。したがって、単一の半導体薄板に、平面状に、すなわち、二次元的な拡がりをもって、電子回路を形成することは、それ自体、画期的なことであり、したがって、本件発明は、原発明の実施態様の一つであるとしても、特許を付与するに値する技術的意義を有するものである。(しかも、原判決が引用する原出願についての東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決において判示されているように、原出願にかかる発明は、単一の半導体薄板の表面と裏面にわたって、電子回路が形成される場合を含み、一面加工によって集積回路を形成するという目的、効果が達成されないのに対し、本件発明においては、電子回路は、単一の半導体薄板の主要な表面上にのみ形成され、一面加工により集積回路を形成することが可能になる。)

原判決がこのような誤りを冒したのは、本件特許の特許請求の範囲、原出願の特許請求の範囲、原々出願の特許請求の範囲の記載を対比することなく、もっぱら、各明細書の発明の詳細な説明の記載、しかも、原出願補正明細書の記載ではなく、主として原々出願当初明細書及び原出願当初明細書の記載を参酌して、その三者に共通した記載を見い出すことにより原出願にかかる発明と本件発明との同一性を認定したためである。すなわち、原判決は、本件特許の特許請求の範囲の記載と原出願の特許請求の範囲の記載との対比を怠り、原々出願当初明細書の発明の詳細な説明の記載が原出願当初明細書を経て、本件明細書に引き継がれているという、分割出願であれば当然の経緯に基づいて、本件発明が原出願にかかる発明と同一であるという誤った結論を導いた点で、明らかに違法である。

5 本件発明の要件「電子回路用の半導体装置」「引出線」等について

(一) 前項においては本件発明の構成要件(e)に焦点を当てて論じたが、原判決が、分割出願に際しての発明の同一性の判断に際しそれぞれの特許請求の範囲の記載に基づかない認定を行ったことは、本件発明の「電子回路用の半導体装置」の要件および「引出線」の要件の判断においても同様である。

(二) すなわち原判決は、原発明が電子回路全体に係るものではなく能動回路素子と受動回路素子との電気的接続態様に係るものであるとの上告人主張は理由がないと斥けている(四六頁一ないし八行)が、その理由とするところは、原発明の「半導体装置」も、「受動回路素子」と「能動回路素子」とを「電気的に接続」してなるものであるから、「電子回路用の半導体装置」であることは自明であるというにすぎない。

しかしながら、原出願の特許請求の範囲には、「電子回路」という語は全く記載されておらず、上告人の主張するように、原出願の特許請求の範囲に記載されているのは、単一の半導体薄板に形成された「受動回路素子」と「能動回路素子」とを、どのようにして、電気的に接続するかであり、原発明の「半導体装置」が「電子回路用の半導体装置」であることは自明であるとは、到底言い得ない。

前述のとおり本件発明の発明者であるキルビーが単一の半導体薄板に形成された回路素子同士をいかにして電気的、機械的に安定に接続するかという課題を解決したのが原出願にかかる発明である、他方いかにして単一の半導体薄板に融通性に富んだ電子回路を形成するかという課題を解決したのが本件発明なのである。そのことは、原出願の特許請求の範囲および本件特許の特許請求の範囲の記載を忠実に対比すれば、明らかである。両発明の要件の相違は発明の課題の相違にそもそも基礎を置くものである。

(三) また、原判決は、「本件発明においては、その『半導体装置』が『上記回路素子のうち上記薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線』を有することが要件とされているが、原発明においては、この要件が特許請求の範囲に記載されていない」ことを認めながらも、「引出線の記載の有無をもって、両発明の実質的な差異ということはできない」と認定している(四七頁二行から四九頁一一行)。

原判決の根拠とするところは、本件明細書の実施例であるマルチバイブレーター回路が、原出願の当初明細書にも補正明細書にも実施例とされているので、両発明において引出線の技術内容に特段の差異があるものとは認められないことと、電子回路用の半導体装置であれば、それが電子回路用の半導体として作動するために、回路素子に対し接続された引出線を設けることは当然かつ不可欠の事柄であるということにすぎない。

しかしながら、「引出線」は、電子回路に必須の構成であり、したがって、本件特許の特許請求の範囲においては「引出線」は要件とされているが、原出願の特許請求の範囲においては「引出線」は要件とされていない。このことは、まさに、本件発明は「電子回路用の半導体装置」にかかるものであるが、原出願にかかる発明は「電子回路用の半導体装置」自体ではなく、「能動回路素子と受動回路素子との電気的接続態様にかかる発明」であることを明瞭に示すものである。原判決は、原出願にかかる発明も「電子回路用の半導体装置」にかかるものであるとの独断に基づいて、原出願の特許請求の範囲には「引出線」が要件とされていないにもかかわらず、電子回路用の半導体装置であればそれが電子回路用の半導体装置として作動するために回路素子に対し接続された引出線を設けることは当然かつ不可欠の事柄であるという理由から、特許請求の範囲の記載を無視して、「引出線の記載の有無をもって、両発明の実質的な差異ということはできない」と判断したものである。

(四) 原判決は、さらに、原出願の特許請求の範囲の記載は、すべての回路素子が「上記薄板の上記主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少なくともひとつ含(む)」場合を排除するものではなく、これを包含するものといわなければならないから、本件発明は、この点については、原発明に含まれる実施形態にすぎないことは明らかであり、これを両者の差異ということはできないと認定する(五〇頁一〇行から五二頁三行)。

しかしながら、仮に、本件発明が原発明に含まれる実施態様であるとしても、それゆえに、本件発明と原発明との間に差異がないとただちに結論することはできない。本件発明が特許を付与するに値する特徴を有していれば、別発明として、特許付与の対象となることは、いわゆる利用発明を認める特許法の規定から明らかである。したがって、原判決の論理に従っても、進んで、本件発明が、原出願にかかる発明に対し、利用発明として特許を付与するに値する特徴を有しているか否かを判断すべきであったのである。

(五) 以上のとおり、右各構成が本件発明の要件として記載されているにもかかわらず、原判決が原出願当初明細書等を参酌して、実質的に同一としあるいは相違がないと判断したことは、前述の要件(e)の「平面状配置」についての原判決の判断に影響を及ぼしていると思われる。すなわち、原判決は、一貫して、原々出願、原出願の各当初明細書に複数の発明の課題とその解決方法が開示されていること、そして、原々出願にかかる発明、原出願にかかる発明、本件発明は、それぞれ原々出願当初明細書に開示された別個の課題の解決手段として別個の技術的手段を発明の対象としたことを看過し、このため、優先権主張の基礎となった米国出願明細書、原々出願当初明細書、原出願当初明細書における発明の詳細な説明の記載の共通点ないし類似点のみに着目するという誤謬を冒すことになったものであると推測されるのである。

6 以上要するに、原判決は、本件発明の要件(e)等につき、原出願の特許請求の範囲の記載と本件特許の特許請求の範囲の記載を対比することなく、本件特許明細書の発明の詳細な説明の記載と原々出願補正明細書の発明の詳細な説明の記載の類似性を重視し、また、米国特許出願明細書および原出願当初明細書の発明の詳細な説明の記載についても参酌し、これらの明細書に開示されている発明は、本件発明の要件(e)等を備えているに違いないと断定するものである。これは、分割出願の適否を判断するため、原出願にかかる発明と分割出願にかかる発明との同一性の有無が特許請求の範囲の記載にもとづいて決定されなければならないことを無視し要求する旧特許法九条一項、同施行規則三八条四項、前記リパーゼ判決の判示に反したものである。

7 よって、原判決は、原出願の特許請求の範囲の記載と本件特許の特許請求の範囲の記載に基づき、両者を対比して、原出願にかかる発明と本件発明との同一性の有無を判断することを怠ること等により、その結果、本件発明は原発明と実質的に同一であると結論し、よって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背、審理不尽、理由不備がある。

第六 上告理由の第五点について

原判決は、本件発明の「被着」の解釈にあたり、米国法及び米国判決の解釈を誤り、その結果、本件発明の「被着」には、「密着」する技術手段は含まないと認定し、かつ、かかる認定をするうえで米国法の専門家による宣誓供述書(乙第二八号証)等に記載された事実について、これを排斥する合理的な理由を付さなかったものであり、よって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背、採証法則違背、審理不尽、理由不備がある。

一 米国抵触審査及び米国控訴裁判所判決

原判決は、理由の三「技術的範囲属否の検討」として本件発明の要件(c)の「被着」の意義につき検討し、本件特許明細書及び原々出願当初明細書(甲第三号証の四)、米国特許出願明細書からは、その技術的意義を明白にする記載はないとし、米国におけるジャック・キルビーとロバート・ノイスとの米国抵触審査における米国関税特許控訴裁判所判決(以下「米国控訴裁判所判決」という。)について種々述べている。しかしながら、原判決は、米国控訴裁判所判決の対象となる米国の抵触審査及びその判決自体の意義を根本から誤って理解したものである。

上告人は、米国抵触審査については、第一審において提出した原告準備書面(七)の二四二ないし二六七頁に詳細に論じている(この点については、控訴人準備書面(六)別紙A一五ないし二一頁にも簡単に触れている。)。念のため再述する。

1 米国抵触審査

(一) 米国抵触審査当時、米国特許法第一三五条は抵触審査につき次のとおり規定していた。

(a) 特許出願が、継続中の特許出願、または有効期間内の特許と抵触すると長官が認めるとき、長官は、場合により、両出願人または出願人と特許権者に対し、それを通知するものとする。発明の優先性に関する問題は抵触審判部(三人の抵触審査官からなる)により決定されるものとし、その決定が出願人のクレームに対し不利であれば、当該クレームの特許商標局による最終的拒絶となり、長官は、先発明者と認めた出願人に対し、特許を付与することができる。特許権者に対する不利な最終決定は、それに対し控訴もしくは他の審理がなされず、またはなされえない場合、特許の当該クレームの取消しとなり、取消し後特許商標局により頒布される特許のコピーには、その通知が明記されるものとする。

(b) 付与された特許のクレームと同一、または対象事項が同一もしくは実質的に同一なクレームに関しては、その特許が付与された日から一年以上前にクレームがなされている場合を除き、出願中にかかるクレームをすることはできない。

(二) 米国抵触審査にあっては、ノイスの米国特許第二、九八一、八七七号(以下「ノイスの特許」という。)が一九六一年四月二五日に付与され、その後、一九六二年一月二九日にキルビーの一部継続出願(CIP出願、以下「米国第二出願」という。)がなされたものであるが、キルビーの米国第二出願においてノイスの特許のクレームをコピーしたために、ノイスの特許のクレームがカウントとして採用されたものである(米国控訴裁判所判決に引用されているカウント1はノイスの特許のクレームの1と同一である。)。なお、キルビーの米国第二出願は、一九五九年二月六日出願の米国特許出願(米国控訴裁判所判決にいう「六〇二出願」、以下「米国第一出願」という。)の開示にもとづき、米国第一出願の出願日に遡及するものとして出願されたため、米国第一出願明細書の開示が問題となったものである。

(三) すなわち、米国抵触審査にあっては、キルビーの米国第二出願においてノイスの特許のクレームをコピーできるか否かが争点であり、キルビーの米国第一出願(この出願については、一九六四年六月二三日に米国特許第三、一三八、七四三号として特許が付与された。)とノイスの特許との抵触が問題となったものではない。

また、米国抵触審査にあっては、キルビーがジュニアパーティであり、ノイスがシニヤパーティである(米国控訴裁判所判決ではDyer V.Field事件に言及し、本件抵触審査におけるキルビーと同様な立場にあったFieldをジュニアパーティと呼んでいるし、米国特許商標庁の審判部の決定でも、キルビーはジュニアパーティと呼ばれている。甲第九号証一二頁一七行から一三頁一行まで、乙第六号証一二頁一三行から一三頁一行まで参照)。

誰をジュニアパーティあるいはシニヤパーティと呼ぶかは、単なる形式の問題ではなく、誰が立証責任を負うかというきわめて重要である。すなわち、通常、二つの出願が抵触する、先願当事者(シニヤパーティ)と後願当事者(ジュニアパーティ)間での抵触審査においては、後願当事者(ジュニアパーティ)が立証責任を負い、いわば原告としての立場に置かれ、先願当事者(シニヤパーティ)はいわば被告としての立場に置かれる。これは、先願者の利益を保護する意味で当然であるといえよう。しかしながら、米国抵触審査にあっては、キルビーの米国第二出願時には、ノイスの特許は既に成立しており、キルビーはノイスの特許のクレームをコピーする立場にあったのであり、米国抵触審査において立証責任を負っていたのは、ノイスではなく、キルビーであるから、ノイスがシニヤパーティであり、キルビーがジュニアパーティである。

2 米国控訴裁判所判決

(一) 米国控訴裁判所判決の認定の対象は、キルビーの米国第一出願(米国控訴裁判所判決にいう「六〇二出願」)の開示についての当業者の「必然的かつ唯一の合理的」解釈によれば、コピーされたクレームを本来的に開示しているか否かという点である。本来的な開示(“inherent disclosure”)とは、当業者が出願明細書の開示からコピーされたクレームを採用しうるというのでは足りず、当業者が常にその開示から当業者が必然的にコピーされたクレームを採用することとなるような開示を意味するのである。これが、米国控訴裁判所判決のいう当業者による「必然的かつ唯一の合理的」解釈の意義である。したがって、出願明細書の開示がコピーされたクレームを含みうることを当然の前提として、その開示が一義的に、あるいは、必然的に、コピーされたクレームを開示するものか否かが争点となるのである。

米国控訴裁判所判決においては、米国第一出願に“adherent to”を含みうる開示があることを当然の前提として、当業者によるこの開示の「必然的かつ唯一の合理的解釈」が“adherent to”であるか否かが争点となったのである。すなわち、“laid down”が“adherent to”を含みうることを当然の前提として、当業者が“laid down”の「必然的かつ唯一の合理的解釈」として“adherent to”を意味するものと理解しうるか否かが問題となったのである。

(三) このことは、前述した米国控訴裁判所判決の記載からも明らかである。すなわち、米国控訴裁判所判決は、前述した、特許のクレームをコピーする当事者の立証責任に触れたうえで、「既に述べたように、審判部は当該技術分野に熟達した者であればキルビーの六〇二出願に示唆されたシリコン酸化膜上に接着する(adhere)金属を『選択』するのに何ら困難はないと認定したが、この審判部の認定は(六〇二)出願に導体が酸化膜に接着されるべきであるという開示が含まれているかという真の争点を回避したものである。」と述べている(甲第九号証一四頁一六行から二一行まで、乙第六号証一四頁一二行から一六行まで)。

審判部の認定は、正に、当業者にとって“laid down”(「敷設」)が“adherent to”(「接着」)を含みうることを認定したのであるが、このような認定は真の争点、すなわち、米国第一出願に導体を酸化膜に接着されるべきであるとの開示が認められるか否か、の判断とは異なると説明しているのである。

(四) したがって、米国控訴裁判所判決の認定は、“laid down”は半導体基板上の絶縁物質への導電物質の密着を包含するものではないと解釈されたのでは決してない。

このことは、米国控訴裁判所判決の左の記憶からも明白である。

「 この争点についてのキルビーの見解は、彼の以下の主張に要約されている。

『 “laid”(“lay”の過去分詞)という語は様々な意味をもっている。絨毯のようなものを床に“lay down”するという用法のほかにも、ウェブスターの辞書ではたとえば舗装する、覆うなどのように表面上に位置させるという意味が与えられている。“laying”という語の意味は“act, set, put, place,fix”などの行為とされている。キルビーの意図は、導線と半導体基板との間にシリコン酸化物のような絶縁不活性物質を介在させて半導体装置に適切かつ必要な電気接続を行うことを一般的に表現することにあった。キルビーは、集積回路における必要な電気接続を作る手段がわかるように実施例を説明しようとしたのである。

“laid down”という語は、彼の出願で触れているアルミニウム又は金を同種の基板及び同種の物質上に蒸着と同様の適切な手段によってデポジットすることを意味していることが明らかである。曲解でもしないかぎり、同種の電気接続手段を望む者にとってこの語が意味することはきわめて明瞭である。要するに、(ノイスの主張は)実際には十分な教示があるのに、教示に欠ける点を探しているにすぎない。主任審査官もインターフェアレンス審判部も、問題の語の理解に何らの困難を感じなかった。』

この主張は、『敷設』(laid down)という語が接着性(adherency)のある場合とない場合の両方を含み得るという本来的な自認を示したものである。この事実は、『敷設』(laid down)という文言自体が、出願中に支持を発見するためにはクレームされた特徴が本来的に開示されていなければならない、という要件を満たしているとの結論を排斥するものである。また、キルビーは、一九五九年の六〇二出願の時点及びそれ以後において、電子ないし半導体業界で『敷設』(laid down)という語が接着(adherence)を必然的に示す意味を取得したことを立証できなかったことは明らかである。(註八)。」(甲第九号証一六頁一〇行から一七頁末行まで、乙第六号証一六頁七行から一七頁末行まで。傍線は上告人による。)

(五) すなわち、米国控訴裁判所判決は、敷設(laid down)したとしても接着(adherent to)する場合とそうでない場合との双方を含みうることを当然の前提として、敷設(laid down)の語は当業者にとって必然的に接着(adherent to)のみを意味するものではないと結論したにすぎない。より簡明にいうと、米国控訴裁判所判決は、「敷設」と「接着」が相矛盾する概念であると認定しているのではなく、「敷設」する場合「接着」しうること、すなわち、「接着」の概念を含むことがあるとはいえ、「敷設」が必ずしも「接着」のみを意味しないと認定したものである。

(六) 前述のとおり、米国控訴裁判所判決により、キルビーは、米国第二出願においてノイスのクレームをコピーすることができなかったが、このことは、米国第一出願により取得された米国特許第三、一三八、七四三号の権利および権利範囲にいささかの影響を与えるものではない。

また、米国第二出願は、“at least one electrically coductive area in contact with insulating material”(絶縁物質に接触している少なくとも一つの導電性領域)というクレームで一九七二年二月一五日に米国特許第三、六四三、一三八号の特許が付与された。このクレームの記載をみても、米国控訴裁判所判決により、キルビーの特許とノイスの特許が併存することになったものであり、キルビーの特許の権利範囲がノイスの特許の権利範囲により減縮されたものではない、ことは明らかである。例えば、キルビーの特許にもとづき導電物質を接触して形成している場合に、それが「接着」に該当するような場合には、ノイスの特許の実施にも該当するというだけのことである。つまり、米国控訴裁判所判決によりキルビーの特許発明の意義が否定されたのではなく、ノイスの特許がキルビーの出願の導電物質の「敷設」という広い開示にもかかわらず、導電物質の「接着」という選択的な構成を採用したことにより、その特許性が認められたものである。

二 原判決の認定と経験則違背等

1 原判決は、米国控訴裁判所判決について触れた後、左のとおり述べている。

「 以上の事実によれば、絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続についてのカウント1に示されている具体的構成には、キルビーの六〇二出願には開示されていなかったものであり、その後にノイスの出願によって初めて開示され、ノイスの出願が特許されその特許明細書が公開された後、一九六二年一月二九日出願のキルビーの第一六九五五七号出願に取り入れられたものと認められる。」(一一八頁六ないし末行)

2(一) しかしながら、前述したところから明らかなとおり、米国抵触審査の争点は、キルビーの六〇二出願において、“adherent to”にかかるクレームをコピーすることができるか否かということである。これが許されたとすれば、ノイスの特許は否定され、キルビーは“adherent to”というクレームについて権利を有することになる。

これに対し、キルビーに“adherent to”というクレームをコピーすることが許されないとしても、キルビーの“adherent to”にかかるクレームが毫も影響を受けるものではない。キルビーの“adherent to”にかかるクレームについては、そもそも米国抵触審査の対象となっていないのである。

原判決は、米国抵触審査の対象がノイスの“adherent to”にかかるクレームであることの理解が欠如している。

(二) また、原判決は、キルビーの六〇二出願に“adherent to”にかかるクレームの開示がなかったと断定するが、米国控訴裁判所は、本質的な開示(inherent disclosure)、すなわち、「開示に従った者がカウントに記載された結果を得るかもしれないというだけでは足りず、その結果が常に起こらなければならない」ことを問題としたものである。

米国控訴裁判所判決は、単に開示がないと認定したのではなく、このような本質的開示がないと認定したものである。原判決は、このような認定を“laid down”というクレームの文言が“adherent to”という構成を含まないと認定したと誤解したものである。

(三) 日本において、選択発明の概念はよく知られる。たとえば、A発明はB発明の選択発明であるといえば、A発明はB発明に含まれる関係にある。A発明の構成を選択することにつき格別の技術的意義があれば、A発明の出願時においてB発明が公知であったとしてもA発明の特許性が認められる。このような場合、A発明にかかる特許とB発明にかかる特許とが併存する。

いうなれば、このような選択関係にあったのがキルビーの発明とノイスの発明だったのである。上告人は、このような併存関係を好まず、ノイスの発明をキルビーの発明に含めようと試みたが、米国控訴裁判所判決によりその試みは失敗に帰した。しかし、これにより、従前のキルビーの発明とノイスの発明とが併存する状態が維持されたのである。

(四) 上告人は、米国抵触審査の意義については、米国法の専門家の宣誓供述書(乙第二八号証)を提出した。原判決は、この証拠を排斥する何ら合理的理由も示していない。

また、キルビーの発明とノイスの発明の関係についても、半導体の技術分野の内外の専門家からの意見書(乙第一七号証)及び宣誓供述書(乙第一八号証)を提出したが、原判決は、これらの証拠を排斥する合理的理由も示していない。

3 以上のとおり、原判決は、本件発明の「被着」の解釈にあたり、米国法及び米国判決の解釈を誤り、その結果、本件発明の「被着」には「密着」する技術手段は含まないと認定し、かつ、かかる認定をするうえで米国法の専門家による宣誓供述書(乙第二八号証)等に記載された事実についてこれを排斥する合理的な理由を付さなかったものであり、よって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背、採証法則違背、審理不尽、理由不備がある。

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